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2007年12月18日
能登半島、中越沖の被災地における建物修復支援活動をふりかえる
長谷川順一


被災地の見守りと発想転換がカギ

 2007年は大きな震災が相次いだ1年でした。当会世話人の長谷川順一は、能登半島地震被災地へ出向くこと14 回、そして再びわれわれの膝元で起こった中越沖地震の被災地へと、震災発生当初よりほぼ毎日何らかの相談を受け、リスト化された相談件数だけでも500件を超えています。地域に長く親しまれてきた景観や伝統的な建物が、震災という突如襲い来る被害で、なすすべもなく解体されることのないように、また被災者が少しでも痛みと負担の少ない生活再建がなされるようにと、長谷川は今も修復支援活動を行っています。
以下は不眠不休で活動を続ける長谷川の報告です。


 新潟県中越地震から、3年を待たずして起こった能登半島地震と中越沖地震。阪神淡路大震災での、多くの人々の苦い経験を二度と繰り返すことのないようにと始まった手弁当の修復支援活動も、能登半島、中越沖の被災地へと及ぶに至っては、さきの中越での経験を携えてということになった。

赤紙即解体を回避
 今年起きたふたつの大きな震災は、先の中越地震と比較して、周期特性において2倍から3倍という長周期の波動によって、古い伝統木造構法の建物に大きな被害をもたらしたとされる。輪島では塗師蔵とよばれる土蔵、漆塗りの生業を営む作業場そのものが、大打撃をうけ、かつて北前船の中継地として栄え、歴史的な町並み景観をなす黒島集落が存亡の危機にさらされた。
 しかし我々の震災直後からの情報支援活動は、応急危険度判定が被災地でなされるたびに繰り返されていた「赤紙即解体」を、ほぼ食い止め、行政による建築相談会にも一定の影響を及ぼした。
 ほぼ間違いなく新築相談会となっていた3年前の各種相談会であったが、今回はさまざまな利益団体も含めて、「修復」を選択肢に入れざるを得ない状況をつくりだした。これは、マスコミが「修復」への理解を示し、まさに被災者に必要な情報であると、こぞって報道したということもあろう。「修復」はまさに時代の要請となったのである。

かつて小千谷縮みなどの集散地として栄えた時代を偲ばせる伝統的町家も解体の岐路に立たされている。(柏崎市東本町)
 
被災直後から修復を呼びかけた
 大工さんと被災者、そのどちらも震災被災者という未曾有の状況に接して、どう立ち回るべきかの、シナリオが描けない。そこへきて、業界利害を超えて、先進被災地の教訓と修復ノウハウの情報支援を行うというのは、未だかつてなかったのではないかとも思えた。
 能登門前総持寺地区では、こういった試みに地元の街づくり協議会は即座に呼応。被災1週間を待たずして修復説明&相談会を被災地で開くことができた。
 7月の中越沖では、発生翌日から行政や地域避難所をまわり、応急危険度判定にたいする正しい理解啓蒙、そして2週間後からは、コミュニティー・センターや集会所単位で修復相談会を開催するなど、被災後の時系列に応じて変わるニーズに合わせて活動を展開した。
 こころない建築業者からは、「そんな簡単に直せると言うな」「何のメリットがあってそう言うのだ!」と脅されたこともあった。しかしながら「直せる」ということが、被災者にどれだけの安堵をもたらし、正しい建築理解につながる契機になしえたか、これは広く計り知れないメリットがあったものと思う。
西山町別山地区での修復説明会の様子。被災地ではあわせて14 回に及ぶ修復手法の説明会を実施。11 月末までに450 世帯の人々の不安に応えた。
 
スクラップ&ビルドの時代は終わったが…
 戦後の日本は、社会的分業に伴うモノづくりのブラックボックス化が著しく、建設業界に身を置いていてさえ、伝統建築に対する理解を得る機会が少なくなった。
 高度経済成長の名の下、スクラップ&ビルドの流れが加速するなかで、モノづくりの技術や文化が発展してきたのも事実である。しかし、長きにわたって修復、再生、伝承を前提にして育まれてきた伝統技術を、ときとして横柄に否定して、短寿命&メンテナンス不能商品の大量生産、大量消費の社会の底流をつくりだしてきたのも否めない。
 ときはまさに人口減少&少子高齢の時代。あふれるストック、社会インフラを抱えながらスクラップ&ビルドはもう転換期に来ている。これからはメンテナンスの時代である。公共工事を発注する側も建設業界も、もはや発想の転換が必要であるのはわかっている。それを公然と言えないのは、「メンテナンス」や「修復」がうま味のある仕事ではないからだ。
刈羽村下高町の被災した伝統民家。液状化被害により床は手ひどい被害を受けたが、柱や壁にはほとんど損傷がない。
 
建物を守ることは地域を守ること
 他人のつくったものを直すのは手間もかかるし、勝手がわからないという側面もある。そしてモノの流通による利ザヤも稼げない。
 しかしそれを乗り越えれば、逆に先人の知恵を謙虚に学ぶきっかけにもなり、技術の非ブラックボックス化に取り組めば、たとえ被災してもその建物の被害を読み解き、被害を防ぐ手立てを考える絶好の機会にもできる。震災の被災地は、そういう意味ではまさに、「スクラップ&ビルド」か「リノベーション&メンテナンス」かの価値判断を世間に問う、生々しい現場にもなってきたといえる。
 京都議定書以来、世界的にも地球温暖化防止が叫ばれて久しい。建築廃材も全産業廃棄物の20%を占めるといわれるなかで、今や建物保全と活用は懐古趣味だ、好きもののお遊びだとは言わせない。あるものを救うこと、古いものを救うことは、路頭に迷うかの瀬戸際にある被災者を救うだけでなく、地域コミュニティーを守ることにもつながるということが、中越被災地の事例からも見えてきた。
 “MOTTAINAI” という価値観の力も借りながら、震災被災というタッチーな状況のなかで、残せるものは残す。そして壊れたものから、よりよい建物をつくる道理を学び取り生かせるものは生かす。我々新潟まち遺産の会として、復興半ばにある中越沖の現場をまわってみるのも、今からでも遅くはない。(長谷川順一・住まい空間研究所主宰)
刈羽村の倒壊寸前の神社。応急的措置を施し、修復の道筋を住民に示した。
 


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