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新潟市 旧 會津八一記念館を考える

これまでの経緯(2014 年)
4月1日〜5月25日 新潟市會津八一記念館の最後の展覧会「ありがとう39年 収蔵品で語る物語」開催。
5月24 、25日は無料開放でにぎわう。
4月28日 公益社団法人日本建築家協会新潟地域会(JIA)、一般社団法人新潟県建築士会、新潟まち遺産の会、郷土の文化に親しむ会が「新潟市會津八一記念館の建築見学会および土地利用の今後についての懇談会開催について(お願い)」を篠田市長に提出。

平成26年4月28日
新潟市長
篠田 昭 殿
日本建築家協会新潟地域会 代表 小川峰夫
長岡市悠久町1-9527-2 (有)アーキセッション内

一般社団法人 新潟県建築士会 会長 川ノ口信一
新潟市中央区新光町15-2 県公社ビル3 階

新潟まち遺産の会 代表 大倉宏
新潟市東堀前通1-353 伊藤純一アトリエ内

郷土の文化に親しむ会 会長 小山芳寛
新潟市中央区西大畑町5927

新潟市會津八一記念館の建築見学会および
土地利用の今後についての懇談会開催について(お願い)
 新潟市中央区西船見町5932 番地561にある新潟市會津八一記念館が、平成26年度に新潟市中央区万代3丁目1-1の新潟日報「メディアシップ」内に移転することに伴い、現在の記念館の建物が取り壊され、跡地が公園となることが計画されていると聞いております。
 新潟市會津八一記念館は昭和50年に開館しました。設計者は新潟市の建築家長谷川洋一氏。氏の父君は戦前に新潟市公会堂などの公共建築、現在みなとぴあ新潟市歴史博物館の敷地に移設された第四銀行住吉町支店などを設計した新潟の建築家長谷川龍雄氏と聞いております。
 昭和52年発行の會津八一記念館会報に、設計者の思いがつづられています。それによれば「會津先生の作品の収集展示のみを行い、それ以外の用途はない」ことをふまえ「ふさわしい力強さと格調高」くあることを意識し、「敷地周辺の自然環境に対して違和感ない様心掛けた」とあり、「外観を大半の日本古来の漆喰色の感じに近いものとし、軒先の黒、及び軒の出の深さと、二階のせり出しにより重厚さと陰影を強調した」とのことです。
 日本の伝統建築と周辺環境を意識しつつ設計された建築は、モダニズム建築の新潟という地域での一受容の例と見られ、新潟の建築史上での、正当な評価がされてしかるべき質をそなえた建築と考えられます。
 記念館移転に際し、一般および建築関係者・専門家を対象とする見学会開催という機会を設けていただきたく、お願い申し上げます。真摯に設計に取り組んだ地域の建築家へのそれが最低限の礼儀ではないかと考える次第です。

 また、記念館移転後の跡地をどうするかという点につきましては、地域の方々の要望をふまえることはもちろんですが、長年會津記念館として親しまれた場所であること、新潟駅から萬代橋を経て日本海にいたる、観光面でも重要な軸線の一端に位置する土地であること、多くの文化施設が点在する文化ゾーンの一角であることなど、多面的な観点からの検討を期待します。そのための前段階として、現在の計画案を広く公開するとともに、地域住民、會津八一を慕う関係者の方々、観光関係者、周辺の文化施設関係者など、多方面の方々による意見交換の場(懇談会)もぜひ開催していただきたく、お願い申し上げます。

8月1日 新潟市會津八一記念館、新潟日報メディアシップ内に移転オープン。
9月5日 4団体の会員を対象に建築見学会が開催される。
9月11日 郷土の文化に親しむ会、新潟まち遺産の会が「旧新潟市會津八一記念館の解体事業の議決の延期について(陳情)」を新潟市議会に提出。

平成26年9月11日
新潟市議会議長
志田 常佳 殿
郷土の文化に親しむ会 会長 小山芳寛
新潟市中央区西大畑町5927

新潟まち遺産の会 代表 大倉宏
新潟市東堀前通1-353 伊藤純一アトリエ内

旧新潟市會津八一記念館の解体事業の議決の延期について(陳情)
 貴議会におかれましては、日頃新潟市の市政に関し真摯かつ熱心なるご討議をいただき、深く感謝申し上げます。
 新潟市中央区西船見町5932番地561にあった新潟市會津八一記念館が、新潟日報「メディアシップ」内に移転したことに伴い、旧記念館の建物が取り壊され、跡地が「八一の顕彰を兼ねたお休み処的な空間」として整備される計画とのことです。
 さる9月5日、4つの団体の求めに応じて新潟市が開催した建築見学会では、シンプルで力強く、周囲の景観にも配慮された優秀なモダニズム建築であるという評価が多く聞かれました。この建築は戦前戦後新潟で活躍した旧第四銀行住吉町支店の設計者長谷川龍雄(1895-1966)の子息で、新潟市で活躍された建築家長谷川洋一氏(1925 〜)の代表作品です。日本各地のすぐれたモダニズム建築を紹介したDOCOMOMO JAPAN(モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織日本支部) 100選の選定にも関わられた建築家兼松紘一郎氏も、当日見学会に参加され、高い評価をされました。建築の専門家集団である日本建築家協会が、この建築の価値を認め、保存の要望書を近く新潟市と市議会に提出されると聞いています。
 市はこの9月に「旧會津八一記念館解体事業」の議案を市議会に提出する予定とのことですが、こうした評価がなされつつある建築の解体を、拙速に決定しないで下さい。文化、観光、まちづくり、地域振興など、より多様な観点から、この建築の保存活用をも選択肢に入れた検討を先行して行っていただくことを要望します。
 貴議会におかれましては、より有効に公金を活用する発想や方策がないかどうか、慎重なご検討とご討議をお願いいたします。

9月19日 公益社団法人日本建築家協会新潟地域会(JIA)が「新潟市旧會津八一記念館の保存活用に向けての要望書」を篠田市長と新潟市議会に提出。

平成26年9月19日
新潟市長 篠田 昭 様
公益社団法人 日本建築家協会(JIA)   
関東甲信越支部 支部長 上浪 寛
同 保存問題委員会 委員長 安達文宏
同 新潟地域会 代 表 小川峰夫

新潟市旧會津八一記念館の保存活用に向けての要望書
拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
貴市におかれましては、日頃より文化の発展と継承に深く理解を示されていることに、心より敬意を表します。

さて、新潟市中央区西船見町にある市所有の會津八一記念館が、同中央区万代3丁目に昨年オープンした新潟日報社本社ビル(メディアシップ:複合ビル)内5階に移転し、本年8月1日に開館しました。 今後旧記念館の建築物は取り壊され、跡地が公園になる計画と聞き及んでおります。

新潟市旧會津八一記念館は、會津八一の死後、新潟日報社が會津八一を顕彰する目的で財団をつくり、新潟市西船見町の新潟市の敷地に、鉄筋コンクリート造2階建て延床面積425m²の平等院風建築物の施設を建設し、1975(昭和50)年4月に開館しております。 その後建物は財団から新潟市に寄付されております。

設計者は建築家長谷川洋一で、父は戦前に新潟市公会堂や第四銀行住吉町支店等の建物を設計した新潟市の建築家長谷川龍雄です。 1977(昭和52)年11月発行の記念館の館報に「會津八一記念館の建築計画について」と題して長谷川洋一の思いがつづられています。 それによれば、會津の作品の収集展示にふさわしい力強さと格調の獲得を意識し、「敷地周辺の自然環境に対して違和感ない様心掛けた」、「外壁の大半を日本古来の漆喰色の感じに近いものとし、軒先の黒、及び軒の出の深さと、二階のせり出しにより重厚さと陰影を強調した」とあります。

新潟という地域の周辺環境を意識し、鉄筋コンクリートを用い、伝統的な街並みと調和させた旧會津八一記念館は、新潟の地でつくられたモダニズム建築の貴重な一例と言えます。 新潟市の建築史上においても、また市民に長らく親しまれて来たという意味でも、大きな価値ある建物と言えます。

旧記念館のある地域は、新潟市で初の景観形成地区指定を受けており、市の顔となるべき重要な文化ゾーンです。 地域住民の意識も高く、通りには「あいづ通り」の名称がつき、新潟駅から萬代橋を経て日本海にいたる、観光面でも重要な軸線の一端に位置し、多くの文化施設が点在しています。

このようなことから、地域の風景にとけ込んだ価値ある旧記念館を、解体するのではなく、耐震補強を施した上で保存活用して頂きたく、また活用については、地域住民、會津八一を慕う方々、観光関係者、周辺の文化施設関係者などによる、多方面からの検討が行なわれ、旧會津八一記念館に新たなる生命が吹込まれるべく、貴市の最大なるご配慮を賜りますよう、ここにお願いする次第です。

なお、公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部、同 保存問題委員会、並びに同 新潟地域会は、そのために出来る限りの協力をさせて頂く所存です。
敬具


郷土の文化に親しむ会、新潟まち遺産の会が「旧新潟市會津八一記念館の解体事業の延期について(要望)」を篠田市長に提出。

平成26年9月19日
新潟市長
篠田 昭 殿
郷土の文化に親しむ会 会長 小山芳寛
新潟市中央区西大畑町5927

新潟まち遺産の会 代表 大倉宏
新潟市東堀前通1-353

旧新潟市會津八一記念館の解体事業の延期について(要望)
 新潟市中央区西船見町5932番地561にあった新潟市會津八一記念館が、新潟日報「メディアシップ」内に移転したことに伴い、旧記念館の建物が取り壊され、跡地が「八一の顕彰を兼ねたお休み処的な空間」として整備される計画と聞いております。
 先般開催していただきました建築見学会では、シンプルで力強く、周囲の景観にも配慮された優れたモダニズム建築であるという評価が多く聞かれました。この建築は旧第四銀行住吉町支店の設計者長谷川龍雄の子息で、新潟市で活躍された建築家長谷川洋一氏(1925-)の代表作品です。日本各地のすぐれたモダニズム建築を紹介したDOCOMOMO JAPAN(モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織日本支部) 100選の選定にも関わられた建築家兼松紘一郎氏も、当日見学会に参加され、高い評価をされました。建築の専門家集団である日本建築家協会が、この建築の価値を認め、保存の要望書を近く新潟市に提出されると聞いています。
 この9月の新潟市議会に市は「旧會津八一記念館解体事業」の議案を提出する予定とのことですが、こうした評価がなされつつある建築の解体を、拙速に決定してしまう前に、より多様な観点から、保存活用をも選択肢に入れた検討を先行して行っていただくことを要望します。
 見学会当日に寄せられたアンケートには、一階室内からの森や桜の眺めが魅力的なことから、カフェやお休みどころスペースとして最適であるという意見が多くありました。観光の観点からも<新潟駅・萬代橋・柾谷小路・日本海>という観光の軸線上の重要地点に立地しており、観光施設としての再活用の可能性の点からも検討の余地が充分にあるものと思います。近くには旧副知事公舎を民間に貸し出し、レストランとして成功した事例もあり、2800万円という高額な費用で解体し「お休み処」整備に予算を投じるよりも、費用対効果の面でさらに有効な方策も考えられるのではないでしょうか。
 多くの声に耳を傾け、新潟市の文化と観光と地域のため、より有効に公金を活用する発想や方策がないかどうか、今一度、慎重なご検討をお願いいたします。

10月 11月20日に市が記念館跡地の利活用について地元への説明会を行うことになった。
10月23日
平成26年10月23日
新潟市長 篠田 昭 様
郷土の文化に親しむ会 会長 小山芳寛
新潟市中央区西大畑町5927
 
新潟まち遺産の会 代表 大倉宏
新潟市中央区東堀前通1-353
伊藤純一アトリエ内
旧新潟市會津八一記念館に関する要望
 新潟市議会は、平成26年度の9月議会の文教経済常任委員会において、陳情第114号および「ゆかりの文化人顕彰事業」を審議し、委員会の総意として「旧會津八一記念館について、耐震性や防犯上などの不安から、地元コミュニティ協議会も解体に賛同しているとのことだが、近代建築物としての客観的な評価や、市民団体を含めた利活用の可能性についての検証が不十分であり、必ずしもただちに解体する必要はない。広い観点から検証を行い、経過や結果を議会に報告し、地域住民の意向を再確認した上で、事業を執行することを強く求める」と表明されました。
 新潟市がこの市議会の意見を真摯に受けとめることを願うとともに、以下を要望いたします。

1. 旧會津記念館の価値について、専門家の見地から、および一般市民からの充分な意見聴取を行うこと。その前提として、広く一般市民を対象とした内部見学会を開催すること。
2. 以下を公開すること。
① すでに行われた耐震診断の結果の詳細
② 記念館として継続するための耐震補強案の内容の詳細と工事費の見積もり金額
③ 解体工事費用
④ 跡地に建設する予定と市が発表した「お休み処」の計画案と工事費の概算
3. 1の結果、旧記念館が保存されるべき一定の価値があると判断された場合には、保存活用のあり方、可能性について地域住民、関心を寄せる市民団体、一般市民、専門家等と意見交換する場を設けること。その上で「解体及び公園整備」は見直されるべきであると判断された場合は、今年度の解体事業は行わないこと。

新潟日報、會津八一記念館に関する文章の掲載を拒否
 当会代表の大倉宏が、「歴史的建造物を生かしたまちづくり」という観点から見た篠田市政の12年を記事に書いてみたいと新潟日報の文化欄デスクに提案して、了承をもらい、下記の記事を送り、ゲラもきて、一旦、10月2日に掲載しますという連絡をもらっていました。
 ところが、掲載予定日の前日に理由の説明なく「掲載できなくなりました」と伝えられました。その文面を当会ホームページで公開します。

 新潟市生まれの建築家長谷川龍雄設計の新潟市公会堂を「保存せよ」と訴える記事を、本紙に寄稿したのは20年前、1994年9月だった。訴えむなしく、昭和初期のモダニズム建築はあっさり壊された。道路拡張で共に解体の危機にひんした昭和初期の銀行や明治の町屋の保存や解体移築を求め、目指す運動などにその数年後に関わった。2002年に開いた、新潟の町屋の魅力を探る市民主催のシンポジウムに、パネリストとして参加していただいたのが、当時本紙の論説委員をされていた篠田昭氏だった。
 氏はその年新潟市長となる。それから12年間。歴史を生かすまちづくりを求める市民運動を続けてきた立場から見て、従前のスクラップ・アンド・ビルド行政が見直されたと感じさせる、いくつもの出来事があった。その一つが、市所有の古い木造建築旧小沢邸、市長公舎、旧日銀支店長役宅の今後を検討する委員会設置である。委員会は保存と活用を答申し、それを受け「北前船の時代館」「安吾 風の館」「砂丘館」が誕生した。
 歴史的建築を活用し、生かす取り組みが、県内各地で起こってきたのも篠田市政の時期と重なる。新潟市の豪商の壮麗な別荘の存続があやぶまれ、保存を求める市民運動が高まり、それを受けて市長が購入を決断したのは、12年間の折り返しとなる2008年のことだった。
 「ないものねだりからあるものさがしへ」という言葉が、市政前半に氏の口からよく聞かれた。少なからぬ歴史的建造物に光を当て、生かす取り組みを、その言葉が後押しした。かつて行政の人々と接して感じたよそよそしさが薄れ、市民と行政が協働する事例も増えた。
 では篠田氏は「歴史あるものを生かす」方向へ市政を根本的に転換させたのか、と問うたとき、ときに市民運動に協調しても、自身がかじを取ってその方向へ行政を動かしてきたかといえば首をかしげざるをえない。政令市となって以後は膨大な予算を投じた「新築」事業も相次いだ。
 4月末、既に移転が決まっていた会津八一記念館の「見学会」を建築団体ほかが要望した。新潟市がそれに応えたのは4カ月余りたった9月はじめ。新潟市公会堂の設計者の子息長谷川洋一が設計したモダニズム建築を高く評価する声が建築関係者からあがり、先日、日本建築家協会関東甲信越支部保存問題委員会の安達文宏委員長が市長あての保存要望書を提出した時点では、解体事業の予算案が既に議会に諮られる段取りとなっていた。東京からきた建築家を、市の担当者が迎える場に立ち会ったとき、20年前のアウェー感がよみがえった。
 「あるものさがしはもうやめだ」と冷え冷えとしたその顔が、語っている気がした。
          (大倉宏・美術評論家、新潟まち遺産の会代表)

シンポジウム
「新潟の町屋をを見直そう」

1994年9月26日 新潟日報 1994年9月27日 新潟日報 2002年8月24日 開催


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