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プログラム

開会前ロビーにて

開会挨拶

基調講演

  伊東祐之(新潟市歴史博物館学芸課長)

報告1

(掘割再生まちづくり新潟)

報告2

(新潟大学都市計画研究室)

インタビュー

話し手/小澤瓔子 
インタビュアー/
大倉宏(新潟まち遺産の会)

パネルディスカッション

パネリスト
   ◎
小澤瓔子
   ◎
川上伸一(掘割再生まちづくり新潟)
   ◎
篠田 昭(新潟市長)
   ◎
高取サト子(ウェルカム下町推進委員会)
   ◎
長谷川守英(本町12町内会長)
司会 
岡崎篤行(新潟まち遺産の会)

ちょうど350年前の明暦元年(1655年)、「新潟」は現在の町―白山神社を上手に西堀(寺町)、古町、東堀(片原)、本町の町が平行に延びる町―に移転しました(長岡藩の公式記録による)。いわゆる「明暦の町建て」です。それ以前の新潟は現在の東中通りの浜手にあったと言われています。
新潟は16世紀半ばに出現した港町でした。1580年代の新発田重家と上杉景勝の争いでは戦場となり、その時には町の有力町人=武装した商人が加勢して景勝を勝利に導きました。つまり新潟は当初から自立した商人の町であり、大川に平行に街路や堀が作られた明暦町建ても、自由な貿易港として都市計画されたものでした。
長岡藩統治下でも商人たちには自治権が、有力商人には多くの特権が与えられ、それは幕末に天領になるまで続きました。有力商人は、船頭の宿をつとめ取引きを仕切った回船問屋であり、西回り海運の発展とともに新潟を日本海側有数の港に成長させたのも彼らの力でした。
時代が変わり上大川前通(明暦の頃は名前の通り河岸だった通り)に軒をならべていた回船問屋のにぎわいは、近代に成長した商家である田代家、高杉家、片桐家、小澤家などわずか数軒のたたずまいになごりをとどめるばかりとなりました。
小澤邸、片桐邸のある上大川前通12番町は、そのなかでも古い商都の雰囲気を今も色濃く残す一画であり、背中合わせの本町通は今も露店が並ぶ下町の台所としてにぎわっています。この界隈にはかつて御祭り堀(五菜堀)、内他門川、早川堀などの堀が流れ、野菜や魚を積んだ小舟で混雑しました。大正時代にここで育った三芳悌吉(1910〜2000)は、名作「砂丘物語」で活気あふれる町の姿を生き生きと描き残しています。この貴重な界隈の過去、現在、そして将来を見つめながら、港と堀と商家の町だった新潟の町の原点を考えてみたいと思います。

illustation/Teikichi Miyoshi 「砂丘物語」三芳悌吉(福音館書店/刊)より


日時/
場所/  新潟市上大川前通7番町1243
主催/新潟まち遺産の会、掘割再生まちづくり新潟、下本町商店会、新潟商工会議所、新潟市
協力/新潟大学都市計画研究室
参加費無料(直接会場へお越し下さい)
後援/新潟県観光協会、ウェルカム下町推進委員会、NPO法人新潟水辺の会、NPO法人日本民家再生リサイクル協会、NPO法人まちづくり学校、上古町まちづくり推進協議会、都市環境デザイン会議新潟、新潟県建築士会新潟支部、にいがた寺町からの会、日本建築家協会関東甲信越支部新潟地域会、北部開発協議会青年部
 
新潟まち遺産の会
事務局 〒951-8066 新潟市東堀前通1-353(伊藤純一アトリエ内)
        Tel:025-228-2536 Fax:025-228-2537

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