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2004. 12. 15 vol. 2 

  INTA・新潟
国際都市政策会議のフィールドワークを担当

 「INT・新潟」国際都市政策会議「経験から学ぶ。ヨーロッパと日本における都市の創造」が、11月8日から11日まで新潟市朱鷺メッセで開催された。9日にはINTA(世界都市開発協会)の国際講師・国内講師と会議参加者ら約40人による「水辺都市の再生」「歴史的文化資源を活かしたまちづくり」をテーマにフィールドワークが行われ、新潟まち遺産の会は「下町周辺の場」を担当した。
 新潟まち遺産の会は、下町は「湊町新潟の頂点であり」「歴史的文化的資源が多く残っていて」「歴史・風土を継承したコミュニティーが生きている町」であり、下町の個性を大切にし、その資源活用の方向を探る視点でフィールドワークを行った。
 一行は、NEXT21から眼下に市街地を展望したあと、「みなとぴあ」へ移動。湊町新潟の特徴が、海の舟運・川の舟運の中継点であったこと、河口港のため水深が浅く、沖泊まりする北前船から、荷物を艀に積みかえて町なかへ運び込む掘割の役割、などの説明があって、湊稲荷神社、旧小澤邸庭園、フレッシュ本町周辺の町屋と市場の賑わいを実感しつつ国登録有形文化財の大橋屋までの散策を楽しんだ。そのあと町屋の活用事例である「新潟絵屋」を経て「市長公舎」での昼食後、寺町からの会へ引き継いだ。
 会議最終日、INTAからの総合的提言で、ミッシェル・スダルスキスINTA事務局長の「新潟市は、いま移行期にあって変化に対応すれば重要な都市になる」「伝統と現代との緊張関係の中で暮らしている「豊かな資源を持っている、拡大よりも質を高める方向への方策をさぐり、新しいダイナミズムを展開して欲しい」との発言が印象的であった。(皆川袈裟雄)
 

フィールドワークを終えて

 晴天に恵まれたこの日のフィールド調査にはいくつもの新潟市のまちづくり団体が協力しましたが、当会も「歴史グループ」のフィールドワークに協力。下町地区の解説を皆川世話人、歴史的建造物の説明を大倉代表、新潟の町のなりたちとまち歩き後に行われたINTA講師とまちづくり団体との意見交換の司会を岡崎副代表が務めました。
 古町のダンスホールで行われた交流会の前に、舞踏家の堀川久子さん(当会世話人)が通行止めされた上古町路上で、津軽三味線の撥音の響くなかを踊りました。詰めかけた観客は踊り手に導かれて、ほのかな明かりの灯された路地に迷い込み、街は一刻、祭りめいた雰囲気に包まれました。(大倉宏)

 一番印象深かったのはフィールドワークです。実際に町歩きをすることで、かっての新潟がいかに理にかなった町であったかを知ることが出来ました。白山神社を起点として真直ぐに伸びる古町通り。その両側に西堀と東堀。いずれも一番町から十三番町までが整然と並ぶ。その分かり易さは碁盤の目といわれる京都にひけをとらないと思われる程です。新しいまちづくりの際には、突然新しいものを増やすのではなく、かつてこの地に住み、懸命に努力してこられた先人らの基盤に、有機的につながるような政策を望みます。
 最終日に講師の方々が提言された目標の2020年まであと15年余り。まずは新潟のまちづくりに関し共通の青写真を完成させた後、ひとりひとりがパズルのピースのようにその役割を果たしてゆければよいと思います。意義深く楽しい会議に参加させていただきありがとうございました。(間嶋めぐ)


 

連続公開講座終了

 公開講座「街並み保全型まちづくりの理念と手法」が、10月9日、11月20日、12月4日の3回にわたって古町の画廊Full Moon で行われました。
 岡崎篤行(当会副代表)が、新潟の歴史的遺産の見直しや町並み保全型まちづくりの仕組みと方法を解説し、村上や川越での興味深い試みを紹介しました。参加者はのべ63名、新潟市内外から一般市民や商店主、行政職員、建築関係者、まちづくりに携わる方々などが参加し、講義のあとも活発な意見交換がありました。


シンボルマーク決定

 まち遺産の会のマークが決まりました。メンバーそれぞれの熱い思いにより、主たるマーク「ぽっこり巾着」のほかに「丁字建築」「ダイシな柱」など別バージョン(というか全くの別物)も臨機応変に活用することに。
 「ダイシな柱」は会報タイトルですでに使われています。ダイシとは第四銀行住吉町支店のこと。「丁字建築」は新潟の町屋の特性である丁字型の家の造りを表したもの。
 そして「ぽっこり巾着」。土蔵や蔵の入り口の鍵穴は、巾着の形で囲われていることがあります。おめでたい図柄のひとつとして数えられる巾着ですが、鍵穴に使われているのは、大事なものを守るという意味があるのでは。これを町に置き換えれば、まち遺産の会の趣旨にぴったりではないか、というメンバーのアイデアから生まれたものです。
 ほっぺたぽっこり巾着くん、どうぞ可愛がってください。(文・イラストとも上田浩子)

巾着型のシンボルマーク
原案:野内隆裕
制作:上田浩子
ダイシな柱 丁字建築


新発田カトリック教会が苦しんでいます

 新発田市中央町の「新発田カトリック教会」(建築主石黒晃泰司祭、設計アントニン・レーモンド、施工新発田建設)が日本建築家協会の第5回25年賞大賞を受賞しました。
 日本建築家協会(JIA)は建築の設計・監理を専業とする全国の人々によって構成されています。JIAでは25年賞について「長く地域に貢献し、風雪に耐え、美しく維持され、社会に対して建築の意義を語りかけた建物を表彰し、建築が果たす役割を改めて確認すると共に、次世代に繋がる建築物の在り方を提示することを目的とする」としています。
 今回全国から15作品が応募され、駒沢オリンピック公園総合運動場・体育館・管制塔」と共に大賞作品に選ばれました。
 新発田カトリック教会は昭和41年アントニン・レーモンド氏(1888年オーストリア生まれ)が設計しました。多角形平面の上に丸太材の複雑な天井組、内壁外壁が特殊レンガ積みのコンクリート壁式構造で、夫人のノエミさんのインテリアデザインも洗練されています。審査された各委員も大工さんの技術、精度、丁寧な仕事、30年以上の維持・管理、環境・文化への貢献が著しいとの評価でした。

 この素晴らしい新発田市の宝、日本の宝である教会前に都市計画道路が計画されています。当時(昭和38年)都市計画道路は計画されていましたが、敷地をわずかに横切る程度でした。現在の計画道路は建物の庇一杯まで来ており、計画が決定されますと建物の価値は無くなり、環境・文化に多大の影響をもたらします。また、設計者のレーモンド氏も現在の計画道路であれば、違った設計をしていたと思います。
 町にはそこに合った空間形成が必要で、教会周辺の住宅街は現在非常に良好な住環境・社会環境になっています。
 新発田市ではなぜ都市計画道路の位置が変わったのか、充分な説明をしなければなりません。16メートル道路が出来ますと、住環境とコミュニティが損なわれてしまいます。私達は地域を形成する一つ一つに関心をもち、地域の良さを次世代に引き継ぐ役割としての義務もあります。25年賞大賞受賞は全国が注目する場所性も生みました。皆さんと地域全体について再度検討をする必要があるのではないでしょうか。
(武蔵靖之)

アントニン・レーモンド(1888―1976)
 オーストリア統治下のチェコに生まれる。1919年、フランク・ロイド・ライトによる帝国ホテル建設を手伝うため来日。日本にとどまって事務所を開き、建築設計活動を行う。第二次世界大戦中は離日したが、戦後、日本に戻って設計事務所を再開、多くの日本人建築家を育てた。
 代表作品にはリーダースダイジェスト日本支社(現存せず)、東京女子大学、南山大学、群馬音楽センターなどがある。伝記は、弟子の一人である三沢浩による『アントニン・レーモンドの建築』(鹿島出版会、1998)がお勧め。

写真→
門から見た副知事公舎、手前が洋風の応接室、奥が玄関、土地407坪、建物84坪と広大。

地図をクリックすると拡大されます

副知事公舎の保存・活用を訴える

 去る9月17日付けの新潟日報に、県が財政健全化の一環で、営所通2番町にある副知事公舎を、来年度にも売却したい意向である旨の記事が掲載されました。この建物は、2つの点において重要な建築です。
 第1には、すでに保存・活用が決まっている市長公舎(西大畑町)と同じ、俗に「洋館付き住宅」と呼ばれる特徴的な建築だということです。
 洋館付き住宅とは、和風住宅の玄関脇に、外観も内装も洋風の応接室を付加した和洋折衷の住宅形式です。大正から昭和初期にかけて、当時、勃興してきたサラリーマン層を中心に、全国で流行しました。新潟でも、関屋松波町、西大畑、二葉町一帯に多く見られます。
 なかでも、副知事公舎や市長公舎は、一般の洋館付き住宅よりも規模が大きく、また建設時期も早くなっています。特に、副知事公舎は、市長公舎より1年早い大正10年に建設されており、恐らく、新潟市で最も古い洋館付き住宅であると考えられます。このように、副知事公舎は、新潟の文化史上、重要な建築といえます。
 第2に、副知事公舎が位置する一帯は、下町の旧小澤邸一帯と並んで、新潟の都市景観にとって、最も重要な地区だということです。ドッペリ坂を囲むこの地区には、市長公舎のほか、旧日銀支店長宅、カトリック教会、北方文化博物館分館、金井文化財館など、欧風文化を採り入れた歴史的建造物が数多く残っており、明治に開港した近代新潟のシンボルといえます。
 ここに、副知事公舎が加われば、さらに魅力的な観光・文化施設の集積が実現します。このように副知事公舎は、新潟のこれからのまちづくりにとっても、重要な資源といえます。
 以上のことから、当会としては、副知事公舎の保存・活用を訴えていきたいと思います。皆様には、この問題を周囲の方に広めて頂きますとともに、ご意見、ご助言等をお寄せ頂ければ幸いです。是非とも、ご協力をお願いいたします。(岡崎篤行)


東厩島の町屋部材の保管場所が変更に

 東厩島の町屋部材、保管場所が変わりました。
 2004年2月、「新潟の町屋を生かす会」に寄贈され、現在当会が所蔵している旧東厩島町の町屋解体部材は、(株)本間組のご好意により、新潟市美咲町1丁目の同社所有地の屋根のある場所に保管していただいていましたが、保管場所の建物が解体されることになり、11月9日に同社所有の美咲町2丁目の土地に移されました。
 新たな移設場所を提供してくださったばかりでなく、移設作業も無償でしていただいた(株)本間組に感謝申し上げます。また解体部材を生かした町屋の再建がどのように実現していけるのか、土地の確保、再建の方法、再建後の活用方法など、会としても鋭意検討していきたいと考えています。


町屋マップ進行中

 町屋ショップマップ(仮題)制作プロジェクトは、マップを来春に配布できるよう月に一度活動しています。ミーティングで練り上げた案を世話人会でさらに練り込み作り込むスタイルです。
 現在は全体の構成が決まり、店舗のリストがほぼまとまった状況で、次号頃には全容を紹介できることでしょう。ためになる町屋のウンチクも掲載予定です。乞うご期待!(伊藤純一)


  シンポジウムのお知らせ
市民による町並み再生プロジェクト
城下町村上の挑戦

 村上には、外観こそ近代風に改装されているものの、内部構造は町屋の形態を保つ建物が多く残されています。改装された町屋を元の姿に戻すために市民基金を創設し、町屋再生を進める意欲的なプロジェクトが始まっており、すでに第1号として店舗が見事な町屋によみがえりました。
 プロジェクトの会長の吉川真嗣さんと建築士の小池昭雄さんを迎え、町屋の再生について経験をまじえて語っていただきます。篠田昭新潟市長にもご参加いただく予定です。

日時 :2005年1月23日(日)午後2時〜4時30分
場所 :中央公民館(バス『古町』下車 徒歩5分、NEXT21裏)
参加費:会員無料 一般500円
事前のお申し込みは不要ですが、お問い合わせは事務局へお願いします。

詳しい事はこちらから

  新潟まち遺産の会 入会案内
振込用紙で下記口座へお送り下さい。
振込先 郵便口座 記号番号
00550-2-75240 新潟まち遺産の会

発足会の報告と定款をお送りします。
なお会員(正会員・賛助会員)には今後、会報や当会主催の催し物の案内が送られます。

会費(年会費)正会員 3,000円
    個人賛助会員 1,000円
    法人賛助会員 10,000円

※正会員は総会に参加でき、議決権を有する会員です。
  世話人会に参加してみませんか
 当会を運営していく世話人は、会員ならどなたでも参加できます。お気軽にご参加ください。毎月第2火曜日午後6時30分から、新潟絵屋で開催しています。(変更になることがありますので、御確認ください)
 なお、現在の世話人は以下のとおりです。(五十音順)
 伊藤純一、上田浩子、大倉宏(代表)、岡崎篤行(副代表)、小川弘幸、越野泉、小林洋士、澤村明、高橋照子(事務局長)、千早和子、野内隆裕、長谷川順一、堀川久子、皆川袈裟雄、武藏靖之、村木薫

■ご意見をお寄せください
 当会の会報、活動は、会員の皆様に支えられております。ご感想、ご批判、ご意見を事務局までお寄せください。

■会員には特典があります
 当会では、見学会や講座などの開催、出版物の頒布などの活動を行っていきます。これらの参加や販売にあたって、当会の会員には優待価格の設定などの特典を設ける予定です。会員の皆様にご利用いただくだけでなく、お知り合いにPRしていただけますと幸甚に存じます。

■「新潟まち遺産の会」パンフレットができました
 入会のための振込用紙のついたパンフレットです。お知り合いの方々などに配っていただければ幸いです。パンフレットの請求は、当会事務所へご連絡ください。
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vol. 1


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