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2007. 12. 18 vol. 9 

二宮家の季節
米蔵が鳴る

 10月21日(日)、堀川久子舞踏「二宮家の季節 米蔵が鳴る」が聖籠町の二宮家の米蔵で催されました。これは文化庁の歴史的建造物の活用のための委嘱事業で、当会としては大規模な予算を得ての公演でした。
 雨模様のなか、2 回の公演で300 名を超える観客が集まり、米蔵はざわめきと熱気に包まれました。
 米蔵は2棟。古い方の蔵には、高さ4メートルを超える梁から床まで届くダイナミックなアート作品と、部屋をほの暗い光で満たすビデオアートが展示されました。そのなかを、堀川さんは若手のダンサーや、土臭さや懐かしさやバタくささの入り交じった音楽を奏でる3人の音楽家とともに、踊りつつ巡りました。後半は、新しい方の蔵に設けたもみ殻を築山のように築いた舞台で踊り納めました。
 当会がこの公演を企画したのは、地元蓮野地区の人々と協力しつつ二宮家の歴史的な建物を活用する土台を築くためです。教育委員会などからの協力は得られましたが、地元の方々との協力関係は一朝一夕に築けるものではないことも痛感しました。でも公演に来てくださった地元の方々は、米蔵を身近なものとして感じ取ってくださったようでした。(千早和子)

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 10月21日、聖篭町蓮野にある豪農の館、二ノ宮邸の米蔵で堀川久子さんの舞踏公演が行われました。天気は雨が降ったり止んだりと、ぬっとりとした気配を漂わせる天候となりましたが、それが堀川さんの踊りと絡まり、何とも言えない妖しさをかもし出し、随分と趣のある公演となりました。
 私はこの公演の準備から後片付けに至るまでを携わらせて頂きましたが、公演が終わる頃には、すっかり米蔵と二宮家の持つ独特な雰囲気に魅了されてしまいました。
 建物は生きている。私はそんな風に思います。
 日頃から古い屋敷や建物には、何かが宿っていてもおかしくはない、そう思っている私でしたが、あんなにはっきりとそういったものの存在を感じさせてくれる場所は、なかなか見つからないのではないでしょうか。まるでこの米蔵に、すべて先達されてこの公演が行われたかのような錯覚すら私自身感じてしまったのでした。これは私の夢物語かもしれません、しかしきっとあの米蔵は、保存を支援して下さった新潟まち遺産の会の皆様に、恩返しがしたかったのではないだろうかと思います。
 とても貴重な経験をさせて頂きました。本当にありがとうございました。皆様もぜひ一度、あの米蔵へ逢いに行ってみて下さい。あの包み込まれるような優しさに胸を撫で下ろされるでしょう。そして私の言っている意味が、お解かりいただけたら幸いです。(居橋典子)


 11月4日(日)〈町屋マップ2007〉の発行を記念してマップを使ったまちあるきを行いました。
 23人の参加者と世話人4人が午前10時NEXT21で集合の後、上古町地区にむかい歩き始めました。町屋を活用した店舗等は柾谷小路を境に下(しも)側・上(かみ)側に分かれて存在しており(柾谷小路界隈は大火等によりほとんど存在していません)、前回の〈町屋マップ2005〉発行記念まちあるきは下の方を中心に歩いたので、今回は上を中心にしました。
 上本町上古町にはまだまだたくさんの町屋が残っており、外観を見ながら散策し、「画廊Fullmoon」や「Suger Cout」などでは店内を見学させてもらいました。最終地点の「蔵織」ではオーナーの志賀さんから建物にまつわる歴史や建物の説明をしていただき、参加者の皆さんは町屋の魅力を十分堪能することができました。
 その後、希望者と一緒に町屋を活用したカフェ「Foodelic」で食事をしながらの交流会を設け、参加者からは是非定期的にまち歩きを開催して欲しいとの熱い要望意見をいただきました。世話人会としても検討していきたいと思っています。
 町屋マップも「読売新聞」「新潟日報夕刊」に取り上げられ、書店等からも問い合わせ取り扱い依頼が多く寄せられました。
 今回は助成金をもらわず会独自の発行ですので、たくさん売れることが当会の活動資金蓄積につながります。会員の皆さんからも多くの方に宣伝していただけることをお願いいたします。(伊藤純一)


会員の皆さまには〈町屋マップ2007〉を同封しております。
今回のマップは1 部200 円で、新潟島では北光社、萬松堂のほか、砂丘館、画廊絵屋、画廊フルムーン、蔵織(この4カ所はマップに場所・連絡先が掲載されています)などで販売中です。


 10月8日(月・祝)に恒例の下町ウオークが開催され、当会世話人もガイドとして協力しました。今年はあいにくの雨で参加者が少なかったのですが、その分説明もしやすく、中身は濃いウオークになりました。
 途中雨がひどくなったので画廊絵屋に避難し、参加者たちと楽しく談笑するというひと幕もありました。初参加の方もリピーターの方も古い建物に興味をもってくださり、強い味方を得たような心強さを感じたウオークでした。(大倉宏)

ガイドの伊藤の説明を聞く参加者の皆さん。
     主催 日本建築家協会(関東甲信越支部)
     2008年2月16日(土) ・17日(日)
2月16日 しばた町並みウォッチング 0:30 〜5:00
石泉荘・清水園・寺町通り・カトリック新発田教会・吉原写真館・白壁兵舎など
2月17日 シンポジウム 午前10:00 〜 午後1:00 〜3:00 
午前:新発田のまちづくり団体の紹介  
午後:パネルディスカッション
詳しくは、0254-24-8008 へ(アメニティ研究所 姫路桂)

 9月4日に、当会も連名して新潟市議会に提出した「旧斎藤家夏の別邸(加賀田邸)と庭園の保存について」の請願が、12月12日の新潟市議会総務委員会で採択されました。18日の本会議でも採択されました。
 旧斎藤家別邸は、大正7年に東堀通7の斎藤家(一部を移築復元したのが燕喜館です)の夏の別邸として建てられ、戦後GHQ に接収された後に加賀田家の所有となりました。行形亭の隣りにあります。
 建物も庭園もすばらしく、毎年大規模なお茶会が催されてお茶の関係者にはとりわけなじみ深い場所でした。(大倉宏)


 10月28日(日)、新潟市中央区社会福祉協議会と当会の主催で、中央区社協の設立記念事業「世代交流・ふれあいウォーキング」が開催されました。約70名が参加し、国際福祉医療カレッジの学生さんのボランティアや当会世話人も加わって総勢120名が、班に分かれてまちあるきを行いました。
 NEXT21に集合、南浜通り→北方文化博物館分館→地獄極楽通り→二戸建て住宅のある脇道→大神宮→カトリック教会→ドッペリ坂→砂丘館→旭町→終点の諏訪神社まで、途中クイズを解きながら2 時間ほど歩きました。諏訪神社で用意されたおにぎりを食べながら、宮司の登石さんのお話をうかがい、解散しました。
 班をまとめるグループリーダー(協議会職員)と、企画運営担当の神林知子さんから記事をいただきました。(千早和子)
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 前日の大雨で開催が危惧されましたが、当日は暑いくらいの陽気になりました
 5 班は年少から小学生までの親子連れ中心で、のんびりスタート。歴史のある建造物といっても、ピンとこない子どもたちでも、庭に生えた木にざくろをみつけて歓声をあげたり、石垣の大きさに驚いたりと忙しそうでした。季節のせいか、果樹が豊富で、招魂坂ではどんぐり拾いをして大喜びしていました。
 大人とは違った視点でこのイベントを楽しんでくれ、また、そんな子どもたちの表情をみて、ご家族も満足されたようです。
 「コースを歩く」+αの楽しみを発見していただいたのが、今回のウォーキングの成功になったかと思われます。(5 班グループリーダー)
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 新潟中心部とはいえ、ゆっくり歩いたことのないコースだったと好評いただきました。
 細い路地を入ったり、曲がりくねった坂道に入ったり……。私は下見で何度も歩きましたが、見どころがたくさん詰まっていて興味深いコースだったと思います。意外なところから細い道に入ると、そこには、初めて見るような風景が広がっていたり……新しい発見があったり……、大人も子供もわくわくしながらウォーキングを進めていたように思います。
 私自身、それほど町歩きなどには興味がなかったのですが、いつもとは違った角度から街中を歩くのは、ゆったりとした気分を味わえ、とても気持ちの良いものでした。身近なところでも、こうした楽しみを見つけられたので、また町歩きをしてみたいと思いました。
 ウォーキング終了後、参加者のみなさんからは、またぜひやりたいという声を頂き、みなさんも、秋晴れの中、普段はなかなか感じ取れない清々しさを感じてもらえたのではないかと思います。(神林知子)

移り変わる風景 みなとまち新潟 1932 -- 1935
2008年1月8日(火) 〜21日(月)
於:東北電力 グリーンプラザ(新潟市中央区上大川前通5)
 新潟の画家銅谷拍洋氏が十代の頃に描いた写生画の展覧会です。現存する約200 点の作品から50 点ほどを選び、描かれた場所の現在の姿を写した写真も並べて展示されます。
 色鮮やかな水彩画が、今は失われた昭和初期の新潟の風景をよみがえらせます。ぜひ足を運んでみてください。

2面で別邸のニュースを載せた斎藤家の、東堀通7 にあった家のれんが塀です。
一部移転移築して、後は駐車場になりました。写真ではわかりにくいのですが、現在はれんが塀ではありません。
写真は東堀通りと古町のあいだの細い道を、下(しも)に向かって撮影しています。


 当会は、10 月13 日の土曜日に古町どんどんの会場で行われた、「第3 回市民活動フェスタ」に出店をいたしました。出店場所の近くに設置された舞台で行われていた大音量のLIVE 活動に翻弄されながらも、野菜の即売会などに群がるおばさん達や、なんとなくプラプラと歩いている若者達を横目で見ながら過ごしたその日は、かなりの人達が往来していたにもかかわらず、当店に立寄ってくれた人達は8 人と、案外少ない結果に終わりました。(佐藤威)


 12月1日・2日と、京都で、「全国町家再生交流会」が開催され、全国から町屋の保全活用に取り組む人々が集まりました。当会も参加し、1日のパネル討論で当会の活動を紹介しました。(澤村明)


 

 柏崎の旧日本石油柏崎精油所の赤れんが棟が先の中越沖地震で倒壊しました。この建物は地元で製造されたれんがなどを使って1909(明治42)年に建てられ、工場が閉鎖される2003(平成13)年まで使用されていました。会報4 号(2005年11月)でも紹介しましたが、2005年に解体が公になった際に地元市民を中心に保存活動が始まり、保存への道が開きかけていただけに残念でなりません。(千早和子)


 新潟市周辺では主要道路の整備に伴い、各地でニュータウンが造成されています。私は設計の仕事をしているのですが、ニュータウン内での設計において考えあぐねていることがあります。
 それはどこも画一的で均質化した環境と敷地から、その土地の独自性、固有性を見いだすことが難しく、それを設計の手掛かりとして利用できないということです。
 主要道路に大型店とそれを囲むニュータウンという典型的な郊外化の環境の中で、その敷地の特色を引き出すことは容易ではありません。そうなると、その土地固有の歴史や記憶が頼りになるのですが、造成されたばかりでそれもありません。
 しかし、ないということは、これからその土地の記憶する歴史いかんで魅力ある土地になるか、ならないか、どちらの可能性も秘めているということではないでしょうか。
 そこで考えるのは、その土地の記憶を今の時点から未来に伝達できるように、何年もかけて大木になる檜や欅を植えることです。何十年後にはそのニュータウンのシンボルツリーになるように、そして何百年後にはニュータウン全部を覆い尽くすまで成長するように、その地に脈々と根を張って、幹に記憶を刻んで欲しいです。(田中洋人)


まちあるきはやるたびに新しい発見があります。参加者にはここで育ったという年配の方がいたりして、思わぬお話をうかがうこともあります。人々が何十年(いや、何百年か)もかけて築き上げてきた町は奥行きが深いものです。(千早)


 
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